ふるさと栄会

同期会だより

「喜寿祝いの会」栄中第6期生(昭和28年卒)


 栄中学校六期の卒業生である私達は、喜寿の祝を七月一日から二日にかけ横手市にある「かんぽの宿」で実施した。七月一日十四時に栄神社に集合という案内がきたので、久し振りに柳田駅に降りてみようと思った。高校時代三年間お世話になっていながら、帰省する度下車するのはすべて横手駅だったという理由による。東京から新幹線を利用して行くには三通りの方法がある。柳田駅下車は山形新幹線が一番便利である。これを使い新庄駅から奥羽本線に乗り換えた。昭和三十年代奥羽本線は鉄道の花形基幹線として脚光を浴びていたが、現在は全く斜陽化し新幹線の連絡用としてのみ存在している状態である。五十八年振りに下車した柳田駅は当時の面影が多少残っており大変懐かしかった。

 栄神社には既に出席者三十四名が集合しており、あちこちで会話が弾んでいた。同級生の神原宮司よりお祓いを受け、迎えのバスで本日の宿泊地である「かんぽの宿」に向った。途中横手市街の裏通りを抜け山峡に入り明永沼の辺りに目的地があった。この宿泊地は比較的新しく設備も整っておりなかなか居心地の良いところである。一日目の喜寿の祝は中学校で担任であった和賀先生を迎えてまず物故者の黙祷から始まり、続いて幹事及び恩師の挨拶と続きやがて宴会に入る。私達は既に後期高齢者となっており、往時のように馬鹿騒ぎすることもなく宴会はたんたんと推移する。ただ久闊をうめるために二次会まで付き合って就寝したのは二十四時を廻っていた。本日発表された物故者の数は出席者と同じ位となっており改めて時代の流れを痛感した。明けて二日目はどこの観光地にも出かけず、同じ処で十時から宴会の続きを行った。本日の会には小学校時代の恩師柴田先生と一名の同級生の参加があり、和やかの内に祝杯に酔い午後四時にしまいとなった。喜寿の祝も茲に無事終了したのである。

 私達の年代ともなれば物故者も当然多くなってくる。と同時に身体が不調であるとか他の諸々の事情により余議なく参加が出来ないという方々も出てくる。自己の健康に留意し少しでも長生きしたい。又同級生との絆を深め余生を楽しく過ごしたいと思っているのは私ばかりではなかろう。六期の私達はこのことに少しでも近づくため故郷と東京で毎年一回同窓会らしきことを行っている。郷里では十二月上旬「脛脱会」と称し、相野々の鶴ヶ池荘にて宴会を設け、一方東京では一月の中旬に「新年会」を新宿西口の中華料理店で開催している。いずれの会も参加者がいなくなるまでに続けようといっている。

高橋 誠(記)


↑タイトルの画像は?
掲示板に投稿された「議事堂周辺の大屋梅」、投稿記事【22】、の写真を元に加工されたものです。

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