ふるさと栄会

同期会だより

古稀を祝う会(栄中第7期生-昭和二十九年卒)

年が明け正月気分も抜けようとする頃、最初の一報がきた。「年祝い・古稀」を迎えたので男鹿で一泊するから日程をあけておけよ!と。地元の有志と代表世話人の案内でした。昨年まで先輩達を見ていると次は・・・とは思っていたが地元の有志の段取りの良さには本当に感謝でした。その後、女性達はさすがマメに電話連絡をし合い近くの人は寄り合いランチパーティーなどを楽しんだとのことで本番への盛り上げなどあったそうです。

5月列島の桜だよりもすぎた頃、本案内状が届きました。10年前の還暦同期会のカラー写真。中三の春(50数年前)の梅林をバックにした卒業アルバムの写真2枚入りのオールカラーのすばらしい案内状でした。

六月二十四日午前十時栄神社へ集合。うす曇りの程良い陽気の朝、早い人は八時すぎにはもう集っていてにぎやかさが次第に増した頃43名が集合。拝殿内で座る場所を迷っていたら神原宮司が「男はこっち女はこっち、足の不自由な方はこちら」と差配をされて落ちついたところで古稀のご祈祷とご挨拶をいただきました。

「この地に生れて今日まで育ててくれた親兄弟をはじめ親せき地域職場・ふと知り合った人々との縁など全て感謝し今後は恩返しをしながら自愛することです」という意味のご挨拶だったと思いましたが、後に祝賀会で代表世話人が「宮司の挨拶が全て話していただいたので新ためてありません。今日は愉快にやりましょう」と短くまとめ、2?.3の注意伝達でおしまい。

さて神社で集合記念写真撮影後、男鹿温泉セイコーグランドホテルのバス2台に分乗。横手ICより一路秋田自動車道をひた走り、この道路をはじめての人も多数いて同級生の観光案内で右左をキョロキョロ。昭和・男鹿ICから寒風山で休憩。快晴。弱風の中でかつての八郎潟や残置湖など見ながら散策。回転展望台は誰も行かなかったようでした。

左」寒風山、右なまはげ館でのスナップ


次が、男鹿の風土が育む歴史とロマンのなまはげ館。なまはげの仮面が地区毎に別のものであること。その特徴など面白く又「男鹿真山伝承館」での実演は荒々しく迫力のあるもので観光用の実演としては一級品だと感心。いっとき深山の別世界を味わいました。

ホテルロビーで集合写真撮影後、各自割当ての部屋で荷をおろし休憩・入浴・祝宴会。参加できなかった同級生の近況・まご・薬・酒の量が落ちたなどなど、21時散会後は幹事の部屋で還暦時のビデオを観る。10年前のおかしなふるまいに新ためて大笑い。飲みつかれ夜も更けて、いつの間にやら散会。

翌日、朝食はバイキング。4人前位の量を数人が見守る中でペロリの豪の者もいた。あいつの元気のもとは大食のせいかなど妙に感心。国定公園男鹿半島も先端の入道崎まで足を伸ばしておみやげの買物。帰路は、予定時間をオーバーして横手農協会館シャイニーパレスで「はばき」を脱いで反省会。それなりに若く写るという写真屋さんの見本を見ながら申し込みの手続。又還暦のビデオを見ながら話もつきない中、家族の迎えもあって再会を約しながら散会となった。

後日地元の代表世話人から「聞くところによると参会の皆さんはいろいろな部分故障を抱えながらだまし騙し持ちこたえていらっしゃるとのこと・・・。しかし一転宴が始まれば年齢も時間も忘れて、大屋梅の少年少女に舞い戻り、みな「元気・元気」でした。と一筆を添えられて写真が同封されてきました。

 アメリカの詩人サムエル・ウルマンの「青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ・・・。年を重ねただけでは人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる」。健やかに壮年の気分で過ごしたいものだ。

大隅亮悦(記)



第7期同期会集合写真

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↑タイトルの画像は?
掲示板に投稿された「議事堂周辺の大屋梅」、投稿記事【22】、の写真を元に加工されたものです。

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